1.開会のあいさつ・・・・主催者
司会者:本日はお忙しいところを多数の方々にお集まりいただきましてまことに
ありがとうございます。本日の講演会を主催させていただきました能力開発研 究所の杉山と申します。先ほど控え室の方で政木先生からいろんなお話をお聞 きしたんですが、今日は本当にすばらしいお話が聞けるんじゃないかと思いま す。もうすでに政木先生のことを、みなさんよくご存じかと思いますが、今日は 政木先生ととても親しくお付き合いをしておられます山崎さんの方から、政木先 生の人となりを簡単に紹介していただいてから先生のお話をお聴きしたいと思 います。山崎さんよろしくお願い致します。
2.政木先生の紹介・・・・名古屋TVアナウンサー山崎氏
山崎さん:皆さん、ようこそお越しくださいました。私、名古屋テレビでアナウン
サーをしております山崎と申します。月曜日から金曜日まで、夕方のステーショ ンEYEというニュースを担当しておりますので、もしお時間がありましたら見て 頂きたいと思っております。私は、今日久しぶりに政木先生の講演をしっかり聞 かせて頂こうと思ってやって参りました。
私は、政木先生とはもう5年くらい前からのお付き合いになりまして、“精神エ
ネルギー”という本をある方から紹介されまして、読ませて頂いて、いてもたって もいられなくなりましてまた、私の番組でも先生を紹介させて頂いたんですけれ ども。今も、杉山さんもおっしゃってましたが、食事をご一緒させて頂きながら 「いかに自分たちがちっちゃな欲望を捨てることによって、自分の大きな願いを かなえることができるか」ということを懇々と諭されていらっしゃいます。私も煩 悩具足の徒でありまして、なかなか先生のおっしゃるようにできないんですが。
実は、こんな話をしていいかどうかわかりませんが、先生と巡り合ってからあ
る一件で家族四人が命を助けて頂いたという経緯を持っております。それから、 忘れもしませんが平成元年の八月の十一日に先生のお宅に伺いまして・・・、 先生のご本のなかにもあるんですが、セゾングループの元総帥でいらっしゃる 堤清二さんが大阪の先生のご自宅に遊びにいらっしゃったときに・・・、先生は 岡山が今中心で研究活動をしてらっしゃいますが、土曜・日曜は大阪に帰って らっしゃいます。
その堤先生、堤清二さんが先生のお宅に遊びにいらっしゃったおりに先生が
「困ったな」と。あんな方がいらっしゃってもお土産に差し上げるものがない。 で、庭をパッとご覧になった時にクローバーがあったんです。「これが四つ葉に でもなっておれば、堤さんもいらっしゃってびっくりなさるであろうに」と、こう書い てありました。私は、その件をふっと八月十一日に思い起しまして、「先生、あ の本に書いてありましたけども、庭に今でもあるんですか?」と。「いや、最近は 庭の手入れをしていないからよく分からないけれども、見てきたらどうですか?」 と。
行ってまいりましたら一面四つ葉のクローバーでありました。たまたま偶然、
今日私はご説明申し上げるつもりじゃなかったんですが持って参りまして、これ がその四つ葉のクローバーです。ちょっとひからびてちっちゃくなっております が。こちら、前の方よくおわかり頂けると思いますが、こんなにでっかい四つ葉 のクローバーが庭一面にございました。もう、とにかく先生と付き合わせて頂き ますと、私の場合には心が穏やかになるもんですからなかなか小欲を捨てて大 欲につくということはできないんですけれども。
ただ、先生のお宅に行きますと家族全員がほっとすると言いましょうか、「人
間性が少しぐらいは高まるのかな」という思いで先生のご家族と親戚のようなお 付き合いをさせて頂いております。ですから、今日は、先生のお話を伺います と、先生の摩訶不思議な出来事という意味合いではなくて、先生の持ってらっし ゃる人間性にきっと皆様も心打たれるんではないかと思っております。私も、皆 様とご一緒に今日これから四時間、先生のお話を聞かせて頂こうと思っており ます。どうぞご清聴願いたいと思います。 (拍手)
司会者:どうもありがとうございました。それでは、盛大な拍手で政木先生をお
迎えしていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 (拍手)
3.プロローグ・・・・私は強情偏屈だった
政木先生:どうも皆さんこんにちは。実は、私がですねこういうことを・・・。まあ
ねえ、私、実は今から十何年か前まで強情偏屈。まあ日本一の強情偏屈だっ たんです。そして私の頭はカチカチの頭。そういう私がですね、どう考えても自 分でもわからないことになったわけですね。
私は、何才ですかね、自分で阪大へ入ったわけですね。ところが大阪大学へ
入って・・・。普通の方だったら一科目でおしまいなんです。私は大阪大学の工 学部を、七科目全部をやってしまったんです。そうしまして、昭和二十一年から また思うことがありまして医学部へ行きまして七年間やったわけですね。
そういうことをやって頭はカチカチの強情偏屈。まあ、私の強情ってのはちょっ
と普通じゃないんですわね。昭和十八年、ふっと自分で思ったこと。「あっ、これ は、日本戦争必ず負ける」ことがわかったわけです。そうしたらもう、やもたても たまらなくなりまして何もなしで面会を、総理大臣のところへ行きまして、「ぜひ とも面会して欲しい」言うて行った。ところが・・・。昭和十八年、戦争の真っ最中 です。私を受付けで、一時間ほどいろんなことを・・・。「あなたが本当に面会に 来たんだったら何かがないといかん」 何もなしで行ったわけですね。一時間ほ ど受付けでいろんなことを調べられて、そして、「まあ、一応行け」ということにな って、そして・・・。その時年は二十七歳ですね。
そして、直接面会して、「もう必ず日本このままでは戦争負けることわかってい
るから」と言うて、いろんな私の意見を出したわけ。その明くる日に、「日本の偉 い様全部集合せよ」「政木の言うことをよく聞いてみよ」ということに決められた。 それを・・・、私が言うことを全部やったわけですね。そしたら、「政木の言う通り に早速実行しよう」ということになったわけです。それほどですね、自分で思った らもう、「なにもなくても行こう」。そういうことを昭和十八年にやったわけです。
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