精神エネルギー<U−1>


1.幽体分離を体験する

 すいません。ちょっと電気を暗くして、スライドを映してください。まず、いちばん
最初のこの写真はですね。これ、私が全然神・仏を信じなかった迄、昭和五十
年一月一日に幽体分離現象っての、私に起きたわけです。これは、私は毎年、
その、信州へ十二月二十四日に出まして、一月の十日まで。又、後からも毎
年、昭和二十九年頃からですね、毎年ここへスキーに行っておりました。これ
は、昭和五十年一月一日です。その山奥ですね。信州の山奥で、真夜中に目
が覚めた。

 その時に、幽体分離という現象が起こりまして、自分は信州の山奥に居るの
に自分だけ、生命体だけがこちらの方へずーっと飛んできました。ここ、ね、こ
のへん名古屋近いですわね。ほいで、これ、風景、一木質まで、よく覚えており
ました。ところがですね。それ、何処か分かんなかった。それからふた月しまし
て、ある方と一緒に大阪から新幹線に乗って、ほいで名古屋の駅へ来たときに
ふっとそれ思い出しまして、これ、話をしたんです。こういう風景、話をして、「松
の木が二本ある所まで私行ったんですよ。そこへですね、竜がやってきたんで
すよ」と話をしたんです。「不思議なこと見ました」と言うた。

 そうしたら、その人の、人が偶然にこの辺に縁のある人でね。私の言う、「あ
なたの言う通りの所がこの、今この右に見えてます。あそこにあなたの言う通り
のとこがありますよ」と言うてね。そして、教えられて。それからふたりで東京へ
行って帰りに名古屋駅降りまして、ここをですね、ここへ、じゃ、一緒に行こう」と
言うて、ほいで、行ったわけです。これ、竹島なんですね。行きますと・・・。私は
松の木だけ目標に行った。ところが、こちらから島へ渡りますと一本も松がない
わけ。「違うんかなー」と思うて。でも、その人はどんどん〃〃島を横切って向こ
うへ行ってしまった。ここへ来たわけ。「あっ、これがそうです」と言うたわけです
ね。私が行ったこともないところ、ここへ来てしまったわけ。私が見た寸分違わ
ん所があったわけですね。

 はい、次お願いします。ほいで、その松の木に龍神の松と書いてある。そした
ら・・・、私はあそこへ来ましたら松の木の間へ金色の大きな、その龍神様とい
うのですかね、生きている龍が出てきた。私は、初めて龍を見たわけですね。
「龍といやこんなものかなー」と思った場所。そこにちゃんと書いてあるんですわ
ね。まあ、だからあの時初めてですね、行ったこともない所へ、幽体分離で行っ
てそこへ、現場へ来た。

 ところがそこの、ちょっとこちらに・・・。そこにちょうど、あの、白龍王という看板
の揚がったお宮さんがあって、そこへ行って話を聞いてみたわけです。私が幽
体分離で来た話をした。「あなたの言うてる風景は二十年前の風景ですよ」と言
う。この一月一日に来た場所が二十年前の所見てるという。一体どういうこと
か・・・、それは意味分かりませんけど。ほんなこと、私はこれが初めてね。だか
ら、初めて幽体分離によって行った所へ実際、現場へ行ったわけ。

 ちょうどこの時に、私らが行ってますと、そこへある先生が来ましたね。T.S
先生と私の本に書いてある。それが来ましたら、その人がね、「今日、私とあな
たとここで会うことになってた」「あなたが見た金色の龍神、それは私の守護神
です」「私とあなたはここで会うことになってた」とおっしゃるわけ。ほいで、その
不思議な話をして欲しいというて、そしてその・・・、そこで六十人ほど人、一緒
に来ておられたんで、その人に話をしたわけですね。こんなことがあったという
て話をして、私が話をし終わって一歩、二歩ほど後へ下がりますとドンと音がし
て、そこへ仏像が落下してきたわけですね。

 それが、私の不思議な事の起こりはじめなんです。そのことから、そのT・S先
生とお付き合いが始まって・・・。そのT・S先生というのがですね、実は、今から
何百年か昔ね、縁があったことがわかった。それがちょうど・・・、これがあって
しばらくしますと、新潟からあちらへ一緒に行こうということになったわけです。
ほいで、新潟で待ち会わせて、向こうの島へ渡ることになったわけですね。ほい
で、向こうの島へ渡った。そうしましたら・・・。私はその島なんか行ったことない
から分かりません。そしたらあちらの人がちゃーんと案内してくれました。ある所
へ行ったわけ。

 そうしますと、そのT・S先生がね、「あなたが今から八百三十年前、 あなた
の家がちょうどここにあったんですよ」「私は、あなたの後を追っ掛けてきて、あ
なたのお世話を・・・、一生お世話をした日妙と申します」「あなたは日蓮聖人で
す」と言われたわけです。そういうことからですね、私の身の上にどんどん〃〃
不思議なことが起きだしたわけなんです。


2.四つ葉のクローバー

 はい、次お願いします。これ。皆さんに今お配りした、この原稿ですね。ほい
で、あとから写真見ますけど、この横にあります。その頃、私の家に日本のトッ
プクラスが遊びにこられるようになった。私が何気なしにですね、「こんなすばら
しい人が来られるんだから、四つ葉のクローバーが庭にあったらいいだろうな
ー」と思って写真を撮った。五月十日、みな三つ葉です。五月十五日、それが、
全部四つ葉のクローバーになって、庭に一千枚以上、四つ葉のクローバーがで
きたわけですね。

 ここにありますようにですね。電気ギター、ね、自動炊飯器、瞬間湯沸器、い
ろんなものを発明したのに私は自分の収入に一銭もしなかったわけ。それによ
って、神の世界からこんなすばらしい力を与えられたわけですね。

 はい、次お願いします。これがそうですね。五月十日、三つ葉です。十五日、
全部四つ葉。大きな四つ葉になりました。それからどんどん増えて、庭に一千
枚以上四つ葉のクローバーができてしまったわけですね。こんなことが起こるん
ですね。


3.石鯛が勝手に釣れる

 はい、次お願いします。そして、これは・・・。私はね、魚釣りなんか全然やって
ないんです。ところがある日、そのT・S先生と一緒に魚釣りに行こうといっ
て・・・。私は道具ないから魚釣りにいく時に一軒の店に入ってね、道具一式ちょ
っと貸してほしいといって買って、こんな魚を釣った。なんぼでも魚釣れるわけで
すよ。なんか魚の種類分かりませんからね、「こんなもん釣れて・・・」と言って見
てまして、ほいで、魚、釣ったやつを道において写真撮ってたわけ。

 そしたら近所の人が出てきまして、「これ、どうしたの!?」と言うたら、「石鯛で
すよ。こんなの、どうしてこんなに釣ったの!?」言うから「勝手に釣れるんですよ
ー」と言うて。これ、三日間でこれだけ釣った。一日七十匹〜六十匹釣ってる
の。一番大きな石鯛がね、長さ四十三センチ、重さ一キロなんぼありましたよ。
一キロ二百か三百ありました。そんなのも中におりましたね。そんな石鯛が勝
手につれるわけ。これも、魚釣っておりましたら、向こうから信号が来ましてね、
『私らはどうせ、その、死ぬ運命にある。あなた方に釣ってもらうことによって、
その瞬間に、光の世界へ行けるから、皆ここに集まってきたんだ』と言うわけ。
ほいで、石鯛、一日にこんだけ釣れるわけですね。


4.ちぎれたスプーン

 はい、次お願いします。これは今皆さんに回った・・・、回しているスプーンです
ね。欲望なしで思うとですね、金属が瞬間に温度が上がって、ああいうことが起
こるわけですね。


5.人間は生まれ変わる

 はい、次お願いします。世の中というのは、この人間というのは一回きりじゃ
ないということですね。これちょっとその一例なんですけど。昭和三十二年、古
いことですわね。その時に、NHKテレビ、私が出演さしてもらったわけです。ほ
いで、その時にね・・・、私その頃いろんな発明しておりましたんで、ほいで、発
明おじさんという名前でテレビ出ました。私と泉田幸夫さんのお父さんと息子さ
んが一緒に来てたわけ。

 そういうことがありまして・・・、そしてこれをですね・・・、先程皆さんに回した、
そのスプーン。一昨々年ですわね、そいで、スプーンが、頭が、又、赤穂青年会
議所で柄がちぎれてしまった。その時にそこの一番偉いさんが出てきまして、
「実は、私、熊沢蕃山と忠臣蔵の大石内蔵助、二人で岡山の備中松山城を明
け渡しにいったんですよ」というた話を聞いた。びっくりしたわけ。

 実は、備中松山城というのは不思議な不思議な縁のあるとこだった。私は岡
山へ行ってすぐに、私の三百八十年前の奥さんに会ったわけです。その三百
八十年前の奥さんが「私の家へ行こう」という。備中松山城のお殿様の末裔だ
ったんです。私の三百八十年前の奥さん。ほいで、私の三百八十年前は、備中
松山城の新しいお殿様だった板倉様のお世話によって、池田光政のところへ
私勤務しております。その池田光政の勤務した、そのお世話願った板倉さんの
末裔の人が私の三百八十年前の夫人だったんです。

 ところが、その三百八十年前の夫人との出会いもそうだったです。岡山へ行
きまして、講演会。ね。二回目か三回目だったと思います。音楽家ばっかり集
めての講演をしたんです。その時に私が、まあいろんな事、古いことをしゃべっ
てたわけ。ところがその講演会、三日目か四日目にその、ある女の人が来まし
て、ね、「政木先生の講演を聞いてから三日間一睡もしてないんです。三日間
お食事もしてないんです。なぜ、こんななったか?」と言ってきたわけ。

 ほいで、測りますと、三百八十年前夫婦だったことがわかったわけね。ものす
ごく仲が良かった。ほいで、あと文献調べますと、奥さんが亡くなったら遺骨を、
その、自分が持ち歩いたことが残っております。だからものすごく仲が良かった
夫婦なんですね。その奥さんが、三百八十年ぶりに会うたもんですから眠ること
も食事することもできなくなったわけ。

 その時に、その奥さんの家庭は子供さんが二人あって夫婦仲が良くなかっ
た。もういつ別れようかと思ってた。ところが私が、「三百八十年前ものすごく仲
良かったんですよ。だから夫婦というのは大体一世おきに仲良く、そして残りの
一世はですね、その、修業の一世ですよ。だから、私とあなたと前世ものすごく
仲良かったんだから、ね、今度の二人はお互いに修業の一世であって、あまり
仲良くない夫婦でもそれを自分の精神的な面の修業によって、二人の人間が
良い夫婦になってくようにする。それが人間性の修業をするためにそうなってる
んですから、前世仲良かったんだから、今度は修業の一世送りなさい」と言うて
話をした。

 それによって納得できて、それから家の中ものすごく明るくなって、今ものすご
く円満になりましてね、家の中がものすごく明るくなったわけですね。それが三
百八十年前の私の奥さんだった。ところが、その三百八十年前の奥さんのお祖
父さんのお祖父さんをですね、私と大石内蔵助でもって元のお殿様を、そのお
城から退いてもらった。その原因は、女の子ばっかりで男の子がないからそうな
ったわけですね。ほいで、大石内蔵助とその三百八十年前そのお城へ行った。

 ところが、その、ね、元のお殿様は女の子ばっかりだから大石内蔵助がかわ
いそうだというんで、その元のお殿様の奥様の家を、播州赤穂のね、赤穂城の
すぐお隣に家を作ったって話をしたんです。そうしたらその泉田幸夫さんの夫人
がですね、その播州赤穂城のすぐ横の、その家へ、私の実家ですと言うんで
す。そうして、その・・・、ここへ・・・、私の所へ、岡山へ来られた原因はですね、
その一週間ほど前に私東京で講演があって・・・、ある大きな会社で講演したん
です。

 その会社で講演したら、その会社へその、泉田幸夫さんの息子さん。私と昭
和三十二年にテレビに出た、その息子さん。そこへ勤務して、今はもう四十五
才位になっております。その頃は小学校一年か二年だったんですけど・・・。そ
の子がですね、お父さんに電話して、「今日うちの会社で講演をした政木さんと
いうのと、昭和三十二年に一緒に出た政木さんと同じに思うけど、どうや?」て
いうて大騒ぎになった。お父さんが、「そら、間違いなく同じ人や!」「いっぺん
行こ!」言うて。

 ほいで、息子さんら夫婦と、夫婦と息子さんと、それからその・・・、その会社
の偉いさんと来られたわけ。そういうことでこれがなかった。そうしたらその、元
のお殿様のね、人・・・、その江口という人が、その息子さんに言うてました。
「そうしたら、私の家は元のお殿様の末裔です。名前も同じお殿様ね」ほした
ら、息子に「あなたと私とは親戚なんですねーっ」と言うて、お互いにびっくりし
たわけね。

 ここの家の中ね、どっかの一緒の会社に勤務してる人、一世前調べると何か
縁がある人ばっかりです。全然縁のない人はひとりもいないです。全部縁があ
るから又、元のグループになってるわけね。だから、向こうの世界からいわく
ね、『夫婦というものは一世おきに仲の良い夫婦になってる。何回でも夫婦にな
ってる。それから、その主・従というものも、ほとんど同じように何回も何回も同
じグループでなってる』。


6.林原社長のこと・・・・幸福と人間の器

 今、私がお世話になってる会社ですね、えーと、林原社長だそうですよ。殆
ど、三百八十年前に一緒に居ったのがみんなここ集まってるわけですね。私の
社長ってのはすばらしい方です。林原社長。私が今から十五年前に私の家へ
遊びにこられたわけです。ほいで私が社長に言ったね。社長は十八歳でお父さ
まが亡くなった。それから悪い社員がいまして乗っ取りをした。だから自分で新
しい会社を作った。なかなかうまいこといかなかった。おっしゃった。だから私が
その時に言うたことば。「人間一匹どんなに頑張っても大したことないんです
よ。だから頭の中ででき上がったことだけを実行しなさい。実行した以上神経は
一切使いなさんな」それだけ・・・。社長「わかった」とおっしゃった。

 その人とそれから会って二か年後に報告に来られました。「あの通りした。経
営ってこんなにのんきなものとは夢にも知らなかった」「今まで一生懸命やって
うまいこといかなかった。その通りに頭の中でちゃんと・・・、もう、ちゃんとできて
ることを会社で命令する。そうなっていくのわかってるから頭は使わない。神経
使わない。会社へ来たらすることないんで暇で暇でしょうがないから昼寝して
た。そうしたら売り上げが二か年で十五倍に上がり、ね、ほいでもう、お客さま
が世界中から来るようになった」と言うわけ。

 私、その時、人間性測定したら林原社長の人間の器、人間性の器が七十倍
になってるんです。その時に神様のことばで教えられました。『神仏は人間に幸
福を与えようとしている。その幸福とは器いっぱいのものである。神仏がいくら
幸福を与えようとしても器の小さいものにはそれ以上与えられないから、幸福
が欲しければ自分の器を大きくしなさい。そうしたら器いっぱいの幸福がひとり
でに得られる』 社長七十倍になった。七十倍の幸福が得られたわけね。そう
いうことに教えられたわけですね。

 そういうことによって、私の三百八十年前、これほどはっきりとした。ところが
熊沢蕃山と大石内蔵助。この組合せは、その前、私、日蓮聖人と弘法大師、私
と生命体、弘法大師と日蓮は同じ生命体がいつも半分に別れて同じ事をやって
る。だから今世もまだ勝手に仲良くなっているわけで、今現在中村和尚、日本
の政治をほとんど中村和尚の意志によってやっております。そういう方なんです
ね。だから前世も今世も同じようにやってるわけ。だから決してこの世の中は何
があっても偶然じゃない。必然的に・・・、こういうことによってできてるって事を
示してるわけですね。



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